井手町のウワサ検証会+史跡めぐり・・・2

井手町内でも、特に近代の【ウワサ】の多いのが
玉水と石垣の両地区。


特に鉄道の駅が出来てからの玉水は ずいぶん栄えていたそうです。

江戸時代以降の玉水は 宿場町としても栄えていたそうですので
色んな逸話がかくされています。
そんな時代の【リアル】なお話しを、ものがたり調で
すすめていただきました。


井手玉水の西福寺さんには 今テレビでやってる【篤姫】に関係する人のお墓があります。

西郷さんと一緒に入水してお亡くなりになられた方の お母さんだったかな?
3回聞いて覚えられませんでした。
私は 幕末と維新が結構不得意らしいです。


だいたい テレビあんまり見ないし・・・。


これを機会に勉強しなきゃ・・・って思いました。



最初にバスを降りたのは、 石垣地区の スーパーミヤモトさんの駐車場。
宮本さんありがとうございます。


このスーパーのある住所は、井手町手宮ノ本。
文字通りの 大地主さんですね。 


ボランティアガイドの宮本さんの解説で 一路 【六角井】まで。
暑い中、 徒歩です。

書く場合は 【六角井】で、 読む場合は 【ロッカクイド】 らしいです。




たいへん詳しいだけじゃなく、面白い説明です。


井戸の中は こんな感じ。


またスーパーミヤモトさんの駐車場へ。

この、【ぱんちん】さんという散髪屋さん。
むちゃくちゃオモシロイです。
お話が とにかくウマイ!


なので、【井手町のウワサ】を見てもらってます。
・・・広めてもらうために・・・・。


続いて、バスにて 地福寺さんへ。

浄土宗 有王山 地福寺 って書いてあります。

元々は、田村新田の有王にあったそうです。





右側の石塔は 橘諸兄の石塔と言われています。

うっすらと、【橘】という文字が浮かんで見えます。


左側は 諸兄の数代あとの子孫で 長谷川〇〇という人のお墓らしいです。
よく見ると、石の古さが全然違います。
右側は 角がズイブンとれて 丸くなっています。


ある文書に、この二つの石塔が 【諸兄の夫婦の墓】と紹介されているそうですが、
まったくの 誤りだそうです。


今年、この石塔を動かして調査をされたそうで、
基礎部分に これらの石碑が利用されていることがわかりました。

約200〜300年くらい昔の石碑ですので
この石塔自体、どこかから移動されてきたのかもしれません。




この石碑は ある著名な資産家の寄付によるものだそうです。



軒先の丸瓦には【橘の紋】。 そして平瓦には【有王山】の銘が入っています。


こちらのお寺の説明はボランティアガイドの池田さん担当。

橘諸兄の 御位牌もあるそうです。
檀家さんだけあって 詳しいです。



地福寺さんのそと。
とてもイイお天気です。

ここでは、町史の編集委員でもある村田産業課長より
この地形が形成された過程を説明ご説明いただきました。
専門用語が飛び交っています(笑)


この後は バスに乗ったまま 井手町井手 鳥休という小字名の
1万年前【縄文時代の石器や土器】の出土地域を説明


井手地区の共同墓地では 楽焼で有名な樂家の脇釜 玉水焼を継承された代々の方々のお墓(江戸時代)も残っています。


この周辺に 橘諸兄のお父さんのお墓があるとも言われています。
もちろん 共同墓地じゃなくて 古墳になるでしょうけどね(笑)


諸兄公の石碑のある場所や 180万年前の火山灰層の説明をバス中からお願いしました。
この火山灰の事を 地元では【しらつち】と呼んでいたそうです。
洗い物の磨き粉として大変生活に密着していたそうで、 米をつく時にも 白土を混ぜたそうです。


この周辺は とても眺めがイイです。


井手の名所旧跡は 眺めの良いところに集中しています。


井手町が一番大切にしないといけないのは
この眺望なのでは? と思ったのは 私だけじゃないと思います。
 


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井手町のウワサ』・・・編集中
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