井手町『史跡めぐり』報告・・・2

昨日参加しました 井手町『史跡めぐり』報告! 続編です。
今回の企画は、
井手町商工会青年部の 部員 を対象に行いました。
結構距離もあったし イイ運動になりました。
え〜っと 昨日は 橘諸兄旧跡までの報告でしたね。


ココは山吹がいっぱい植えられています。
もうすぐ 黄金色に咲いて きっと美しくなりますよ!
ここへ、お詣りに来られてる方もおられるようです。
随分遠方から来られてるようです。
地元の者として、頭の下がる思いです。


さて、続きをいきます!
弥勒石仏です。
ココまででも 結構な坂道です。

ここからが 結構大変です。

修行の『行場』みたいです。
小さいお子さんはかなり危険ですよ!
足を滑らせれば、かなり下まで 落ちちゃいます!


これが弥勒石仏です。

大きな岩に、刻まれています。
ナゾが多いんですね。 この石仏。
橘諸兄邸の鬼門の方角を守っているんじゃない? とか、
地元の民衆が彫ったものじゃない? とか、
わからない事だらけですね。
今回、青年部事業初参加のイワタ君。最近入部してくれたんですけど、早々に参加してくれるし、熱心だし、将来有望です!
その イワタ君が言うには、
あの石仏。 ただならぬ モノ を感じるらしいです。
私は、そんなイワタ君に ただならぬモノを感じました・・・。



お次は 宮本水車址

立派な石碑です。
かなり昔から、水車を使った 結構大がかりな設備があったらしいです。
穀物などを 石臼に入れ 水車の動力で動く 杵で つき 、粉にしていたらしいです。
その 石臼がコレ。

たくさんの石臼が並んでいたそうですが、
昭和28年の 南山城大水害の 大正池の決壊による土石流で
破壊されてしまったらしいです。

自然の 恐ろしさを 痛感しますね。


今でも残る遺構
ここからの 落差を利用されていたらしいです。

ここから 古い水路が作られていて 岡田池方面へ流れているらしいです。
どんな規模で どんな姿をしていたのかな?
古い写真があれば ネットで公開して 多くの方に知ってもらいたいものです。
まずは、地元の人が知っておく必要がありますよね。


『椿坂』
本来の『椿坂』は、この場所のことらしいです。

石垣沿いの、 なんとも風情のある 坂ですね。
石碑もありますよ。

井手町商工会青年部OBの先輩で、某奥田石材さんが
井手に出店されたときに 町の為に 寄付なさったらしいです。
某奥田先輩は青年部の部長もされておられましたし、
商工会青年部の主張発表大会で全国大会まで行かれた
偉大な先輩です。


話はもどって『椿坂』
ここには伝説があるらしいです。
『井手の下帯』っていう伝説らしいです。
かの『広辞苑』にものっているらしいです。
せっかくなので調べました。
ちなみに 私の持ってる広辞苑は古いです。
今の広辞苑の内容と違っていてもご了承くださいね!

コレ! 『井手の下帯』 と 『井手の玉川』って書いてありますよ!


いで-の-したおび【井手の下帯】
山城国井手に行った男が、少女に帯を解いて与えたが、年を経てそこでめぐりあって契りを結んだという大和物語による伝説から)
別れた男女が再びめぐりあって契りを結ぶこと。


・・・って、書いてあります。  実に簡潔な説明です(笑)



美談なんですよ。 こんなこと 滅多に無いことだったんでしょ?  きっと。 


今の時代なら、変質者よばわりされます(笑)
昔なら、『美談』とされた話も、
今や、 『変人の醜態』って感じでしょうかねぇ(笑)


きっと現代の子供たちが、広辞苑の内容を見ただけでは
???????だらけでしょうね(笑)
簡潔すぎて、 誤解だらけになっちゃいますよ! きっと。

まあ、冗談でも 少女の帯を解いて・・・。 なんて誤解はしないでくださいね!
それは 今も昔も 犯罪ですよ。 おそらく。




・・・不動産のご相談は、 しのだ不動産・・・tel 0774-82-5808↓
http://www.athome.co.jp/ahki/s-fudo3.html
s_fudo3@yahoo.co.jp