井手町のウワサ検証会+史跡めぐり・・・6

町内をイッキに回ってしまう強行軍ツアーいよいよ終盤。
・・・・・・・・・・多賀地区です。
京都府景観資産登録地区になったもう一つ
【万灯呂山(大峰)の眺望】です。


本当に いいお天気です。
京都タワーもうっすら、
愛宕山京都市)・天王山(京都〜大阪)・生駒山奈良県)まできれいに見えます。
日本電産のビル・京セラのビルも ハッキリ クッキリ!

所用にて 途中で帰られた方や、
車酔いしてしまった中学生2名、
別行動部隊の青年部員が写ってません。
でも 多すぎず 少な過ぎず、結構イイ感じの人数でした。



写真中央に山城大橋が写ってます。
ちょうど下の方に 大きな工場があります。
そのあたりの地名は 【古市場】


桃山時代まで、この地は少し高台だったそうです。
木津川沿いのこの地には 【市】がたち、
安楽寺というお寺が栄え 4つの末寺を持ち その勢力を誇っていたそうです。
京都の知恩院の二世の高名なお坊さんが、
この安楽寺で修行なさったとの記録が残っているそうです。
おそらく木津川を行きかう舟の港があったのでしょうか、
発展していたんでしょう。


しかし、豊臣秀吉の命令で この木津川に
堤防が築かれることになります。
なんと秀吉は、この古市場に住む人々や、安楽寺にまで【大移動】を命令し、
ここの土を削って 木津川の堤を築いたそうです。


その名残で、多賀地区の東部区にある現在の安楽寺の正面には
【市場山】とあります。
市場山 安楽寺という名前です。



写真に見える手前の集落が 多賀地区。
これだけの地域に 現在も 


浄土宗(知恩院)のお寺が3ヵ寺、
浄土宗(永観堂)のお寺が1ヵ寺、
日蓮宗のお寺が1ヵ寺 があります。


明治までは まだ4ヵ寺もあったそうです。


いったい どうやって多くの寺院が維持できたのか???
不思議です。



万灯呂山(大峰)の南方の300m級の山の頂上付近には
【児玉岩古墳】という立派な古墳が3基発見されました。


約30年ほど前、山火事の際に発見された古墳です。
私も子供の頃、父親によく連れて行ってもらいました。


この古墳は、 京都府で一番高地にある古墳だそうです。


とにかく、石室が すべて南側を向いていて、
南側が開けて スゴイ眺めだったのを覚えています。



井手町の史跡は 本当に 眺めの良いところに集中してますね。



お次は 高神社。

この鎮守の森は 京都百景のひとつらしいです。


この森の中に 古墳が十数基発見されています。



当初は、 井手地区と 多賀地区の両方の神社へ 登ることを考えておりました。

同じ町内でも、 自分の地区以外の神社へ行ったことが無い! って人が多いですので。



でも、朝から 暑い中を歩いたり クーラーの効いたバスに乗ったりの 繰り返し。


体力の消耗は 相当なものです。


そして、商工会館へ3時30分に帰るという予定も危うかったので
上へあがるのは断念しました。


今のところ・・・・行きたかった・・・・って話は聞いてません(笑)


みなさん バテバテだったハズ。


逆に、【あの状態で登る!】って言ったら 鬼や! ・・・と思う って言われました。
ウチの青年部員にね。


しかし、皆さんお元気でした。


この後、商工会館へもどって 一旦 【史跡めぐり】の中じめ。


そして、【井手町のウワサ検証会】を行いました。





・・・不動産のご相談は、 しのだ不動産・・・tel 0774-82-5808↓↓↓↓↓↓
http://www.athome.co.jp/ahki/s-fudo3.html
s_fudo3@yahoo.co.jp

井手町のウワサ』・・・編集中
http://d.hatena.ne.jp/ide-seinennbu


★☆山吹MTB大会2008☆★11月23日開催★☆・・・主催:井手町商工会青年部