地元井手 あえて語れば 何と言う??・・・2

1のつづきです。


蛙塚ときたので やっぱり外せないのが
★山吹★

これも 中国の黄金伝説に基づく金運財運の縁起物。
山吹の濃〜いヤマブキイロを 黄金に見立てたわけですな〜。


橘諸兄さんは とにかくオカネが大好きだったようですね(笑)


実際今の日本の中では 比較対象の存在しないほど
想像を絶する超・大資産家ですわ。


聖武天皇を除いて 権力財力日本№1やったわけやし。


聖武天皇と言えば 東大寺の大仏さんを造らせたり
やれ恭仁京(くにきょう・現木津川市)だ、
やれ難波宮(なにわのみや・現大阪市)だ、
やれ紫香楽宮(しがらきのみや・信楽)だと、


何度も うろうろと遷都しちゃったワケで、
いわば首都の移動なんだから
その都度 超ビッグで豪勢な建物ごと
周囲で働く人たちは当然
人とモノが大移動したハズだろう。


いくら昔でも オカネや米など
莫大な費用がかかったはず。


もしかすると
江戸時代の参勤交代や 各種土木事業を諸藩に負担させ
勢力拡大を阻止し忠誠を誓わせたそのシステムの原型だったかもね。


日本最後の宮大工とよばれた
西岡常一氏の本によると


これより古い飛鳥時代
聖徳太子法隆寺建立のときが
近隣で材木調達できた最後だったらしい。


飛鳥時代で もうすでに
木々を採りつくしていたらしいから


現在記録に残っていない寺社などの巨大建築が
弥生時代はおろか 縄文時代から存在したかもしれないね。


東大寺建立のときなど 
なんと はるばる山口県の山奥から 大きな谷を埋めてまで
でっかい材木を運び出し、
海路 瀬戸内〜大阪湾〜淀川〜木津川といきついて
木津から陸揚げ大人数で 東大寺まで運んだそうな。


その材木が全国から陸揚げされた故事から
その地が【木津】という地名となり
その川は【木津川】というそうな。


その作業要員として
全国各地から人が集められ
寺の材木の運搬に携わると
ご利益にあずかれるとの触れ込みで
都周辺に人々があふれたのは良いけれど
故郷へ帰るオカネ用立てられず
その辺に住み着いた人が多かったとも言われるらしい。


当時から マインドコントロールに長けた人がいたんだね〜。


材木運搬に天皇自ら携わったこともあるらしいし。


とにかく そんな大変な土木事業を含めて
政権の中枢にあったのが 正一位左大臣 橘諸兄だったそうな。


井手の地を本拠地(別業)としたことから
井手左大臣とも言われる。


太古から 生きているうちに【正一位】の位についたのは
諸兄の他 片手で数えられるほどしかいないらし 値打ちあるんだね。


その財力と政治の実力をたたえて聖武天皇が諸兄に贈った歌


【橘は 実さへ花さへその葉さへ枝に霜置けどいや常葉の木】

訳:橘は実も花もすばらしい その葉さえ
  枝に霜が降りても枯れ落ちない
  いよいよ常緑の美しい樹である


と、聖武天皇に言わせるくらいですからね
橘氏の栄華の絶頂を極めた 相当な人だったんですな〜。


でも、息子さんが失脚してから
急速に勢力が落ちちゃって・・・、


でも諸兄の曾孫に
字の上手い【三筆】の一人・・・橘逸勢(たちばなのはやなり)がいたり、


・・・三筆と言えば、有名なのが空海弘法大師
そして嵯峨天皇
そして橘逸勢


同じく曾孫の壇林皇后(橘嘉智子嵯峨天皇の奥さん

井手にあった梅宮社を今の右京区梅津の地に移しちゃった人。

日本二十二社のひとつ梅宮大社だもんね。

この人は結構個性の強い人だったらしい。

化野近くの壇林寺へ行けば詳しいのがわかるけど


とくにインパクトあるのが、
自分が死後、埋葬を禁じて自分の死体を放置させ
白骨化していく様子を絵師に書かせたらしいし。


別に変な趣味じゃなく
仏心かららしいけどね。
九相図っていうらしいけど 実にシュール。


も一人 諸兄の曾孫の橘有王(たちばなのありおう)も有名。


俊寛僧都との関係などね。

井手町の有王地区(現 田村新田)は
橘有王の由緒でもあるし、
有王地区に俊寛の屋敷があったとの伝説もある。



まあ、有名ではあるけれど
政権の中枢から外れちゃって
藤原氏の時代になっていったワケ。


いわゆる歴史というのは
勝者の歴史なので
橘氏の歴史は 藤原氏によって
ほとんどが抹殺され
ただ昔話の一つとして 過去の栄華を懐かしむ・・・って程度に残されただけのようだ。


聖武天皇時代の左大臣(最高実力者)で
奈良の大仏造ったり
日本最古の歌集 万葉集作ったり
あっちこっちの遷都にもかかわったわけだし
歴史教科書にもっと載ってるべきなのに
省略されちゃってるんだよな〜。


昨年遷都1300年事業やった奈良なんか
もっと井手に気を遣えよっ! って、誰か言ってくれたらよかったのに(笑)


私は何も言いませんが。





そういえば、あと諸兄の末裔を名乗ってるので有名なのが


楠木正成(くすのきまさしげ)


井手の伝承(山吹・玉川・蛙)のカラーが色濃い神社
井手の玉津岡神社の社紋は 山吹水 ↓

これは一重山吹のデザインかな?。
八重山吹っぽいデザインもこの神社にある。
み〜んな微妙に違うし楽しいよ(笑)



・・・で、楠木正成の旗印で有名なのは菊水紋

上の写真とは違うんですな。


諸兄の末裔名乗ってるんだから 普通考えりゃ山吹水でしょ!



デザイン似すぎやから 楠木正成本人が山吹水のつもりでも

後世記事にした人が 勘違いして菊水にしちゃった可能性は大きいでしょうな〜。



つづく。


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