高神社のお祭り

今日と明日は 高神社のお祭りなので
仕事ができません。


明日の 神輿巡行をひかえ
本日は 宮衆や宮座が行われます。


代々 昔から続いてる伝統の行事です。


なので、本日は 仕事ができません。



ウチは宮座。


各宮座ごとに当家の家に集まり、
御参りして・・・飲んで・・・食べて・・・
御稚児さんとともに高神社へ詣でる。


その際の服装


和装です。
袴をはいて神社へ参るわけです。


・・・で、 履物は

ナゼか? 下駄(笑)


昔からだそうです。



何かのイワレがあるのかもしれません。




・・・・で、 高神社まで歩く。
石段も下駄で登ります。


酔っぱらいには大変キケン(笑)



階段を登り切ると、

こんなカッコの人たちでいっぱいです。


それぞれの 【座】ごとに参るわけです。

ウチは 二番座。
十七軒(・・・だったと思う)が入ってます。


それぞれの【座】ごとに 当家を飾る幕などがあり、
一番座が近年幕を新調されるまでは、
200年以上前、江戸時代からのものが使われていたらしいです。


ウチの座に残る古文書も、随分古いモノで
その内容から 地域における 【座】の重要性がうかがえます。


聞くところによると、 【座】で所有する土地があったり
その土地からの収益が 【座】の運営費となっていたり。


今では随分変わっているのでしょうが、
その昔、神社を維持する経費なども、 
宮衆や宮座その他の講を構成する氏子などによって
賄われていたでしょうし、

個人の負担が大きくならないような 【工夫】が、古くからなされていたのかもしれません。


それぞれの座や衆、講に伝わる古文書や物品を調査すれば、
歴史を塗り替える発見があるかもしれません。


近隣の 他の市町村に比べて 井手町と 旧多賀村は
謎の部分の多い町だと思います。


今度開発される 多賀地区東部の 白坂地区には
発見されているだけでも 数十基にのぼる古墳があるそうです。


中世に多賀城があったとされる話もあり、


白坂とは・・・城坂だったのではないか?
白坂の入口の 馬場崎という地名は、 城の馬場(馬をつなぐ場所)だったのでは? など。


飛鳥や奈良時代などに発達した場所は
なだらかで、見晴らしの良い丘陵地に集中していることなど


井手寺のあった 上井手・高月地区と同じく
茶臼塚〜北山(きたりやま)〜白坂(しろざか)〜寺屋敷(寺屋敷) 一帯の地域は
生駒山を一望できいる大変展望の良い地域です。


民間に伝わる そういった細かい資料を精査すれば
とんでもないモノがみつかるかもしれません。



・・・・というか、 周囲に比べて 井手町だけが
みつかって なさすぎ なんですよね。



色んな人たちに興味をもってもらったり、
色んな話がもりあがる・・・

そんな タタキダイとなるものがあれば



みんなが興味や関心を持ってくれたら・・・
何かが見つかるんじゃないかな? っと思います。






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井手町のウワサ』・・・編集中
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