京都新聞さんから取材いただきました。

井手町のウワサ』についてです。
この企画は、井手町・多賀村 合併50周年記念事業として
井手町商工会青年部が企画立案したものです。


井手町は、交通の便は良いです。


電車の駅も2つあって、玉水駅には快速も停まります。
市街地の大半は、駅から徒歩20分圏内です。
小学校への通学も 大半が 徒歩20分圏内です。


国道へのアクセスも、
東西に 307号線
南北に  24号線
があります。


なのに、 人口は 微減しています。


井手町の 知名度は ハッキリ言って 低いです。


お隣の、 城陽市京田辺市の方でも、

井手町の 存在すら ご存じ無い方もおられます。


・・・・・普通、 考えられないハナシですよ。



ナゼ? ナゼなの? って事で、 考えてみました。


例えば、  宇治市でしたら、


・・・宇治茶源氏物語紫式部 など


京田辺市でしたら


・・・一休さん など


パッと思いつく 『キャッチフレーズ』があります。



じゃあ 井手町は?


・・・・・・・・・・・・


井手町に住んでいる方に聞いても 『エッ!? ・・・・・』ってつまる人が ほとんど。


キャッチフレーズを スラスラ言える人なんて ほとんどいないんです。


言えたとしても ・・・長々と説明が必要だったりします。(笑)


聞いてる側が アクビしそうです。



・・・・で、 井手町って 本当に 何も 特徴の無い町なの?


って、 イロイロ調べてみました!


意外や意外。 イイものがあるんですよ!


ちょっと調べただけで コレですよ。


その昔『井手町小野小町が住んでいた』らしい。
その昔『井手町で航空ショーがあった』らしい。
その昔『井手町聖徳太子の子の邸宅があった』らしい。
その昔『井手町に映画館があった』らしい。
その昔『井手町に芝居小屋があった』らしい。
その昔『井手町に有名な窯元があった』らしい。
その昔『井手町に玉突き場(ビリヤード)があった』らしい。
『井手寺の遺物が、高知県文化財指定されている』らしい。
全国で10個も無い平安時代作の梵鐘のうちの一つが『井手寺』の鐘らしい。
『旧玉水橋では有名な映画が多数撮影された』らしい。
美しい景色で有名な万灯呂山は京都府景観資産登録地区に指定されたらしい。
通称『万灯呂山』は『大峰』という本名があるらしい。
井手町さくら祭りには50000人の人が来るらしい。
井手町は1000年以上『山吹の名所』として有名だったらしい。
井手の山吹や玉川は『古典』『和歌』『華道』『おどり』の世界でも有名らしい。
その昔、高神社境内に毘沙門寺というお寺があったらしい。
井手町で多数の犠牲者がでた南山城水害の時に初めて『集中豪雨』という言葉が使われたらしい。
その昔、多賀地区の高神社は、多賀神社と書かれた時期もあったらしい。
高神社の社殿は桃山時代の建築で重要文化財に登録されているらしい。
地蔵禅院下の2本のシダレザクラ日露戦争を記念して植樹されたらしい。
京都府の天然記念物『地蔵禅院のシダレザクラ』は 円山公園シダレザクラ(先代)と兄弟らしい。
玉津岡神社には、狛犬の代わりに蛙の彫刻があるらしい。
玉津岡神社境内に残る石塔は、明治以前は十三重あったらしい。
井手寺の規模は薬師寺興福寺に匹敵する大規模な寺院だったらしい。
井手町の西側の木津川堤は、豊臣秀吉の命で造成され『太閤堤』と呼ばれたらしい。
井手の山吹は、もともと一重の山吹が有名らしい。
玉津岡神社は、春と秋の2回 お祭りがあるらしい。
井手寺は、聖武天皇左大臣を務めた橘諸兄の創建らしい。
橘諸兄は74歳の長寿であったらしい。
橘諸兄が『井手』『山吹』『蛙』『玉川』のセットをつくったらしい。
小野小町は井手寺で亡くなったらしい。
井手寺の遺構跡が現在の道路に標示されているらしい。
江戸時代、時の天皇の診察もされた『中神琴渓』という名医が井手有王の地に住んでいたらしい。
その昔、井手の地に井手城があったらしい。
その昔、多賀の地に多賀城があったらしい。
井手町の伝説』が広辞苑にのっているらしい。
『井手の玉川』は広辞苑にのっているらしい。
昭和28年の水害前の玉川には、ほとんど桜が無かったらしい。
現在の玉川の桜並木の大半は、南山城水害後に植樹されたものらしい。
戦時中、現在の泉ヶ丘中学校の地にグライダー訓練生の宿舎があったらしい。
その昔、六角井戸は『六角井』と書かれていたらしい。
六角井戸は1000年以上の長きにわたって使い続けられたらしい。
有王の地名は、橘諸兄の子孫である橘有王に由来するらしい。
井手火山灰層は、1億1千年前のものらしい。
奈良大安寺の瓦は井手町で作られていたらしい。
井手寺の瓦は井手町で作られていたらしい。
井手町は 瓦など ヤキモノに適した土が採れたらしい。
戦時中、井手町火山灰層の土で 天皇陛下お召列車の『菊の紋』を磨いたらしい。
その昔、井手町に『玉水焼』という有名な窯元があったらしい。
玉水焼は茶人のなかで『有名』らしい。
その昔、玉水駅に『人力車』が客待ちしていたらしい。
水害前、今の井手小学校の地に町役場があったらしい。
日本二十二社に数えられる梅宮大社は もともと井手にあったらしい。
東海道五十三次で有名な安藤(歌川)広重が玉川の絵も書いていたらしい。
松尾芭蕉も井手の歌を詠んだらしい。
与謝蕪村も井手の歌を詠んだらしい。
紀貫之も井手の歌を詠んだらしい。
源実朝も井手の歌を詠んだらしい。
藤原定家も井手の歌を詠んだらしい。
藤原俊成も井手の歌を詠んだらしい。
三十六歌仙全員が井手の歌を詠んだらしい。
井手がテーマの著名歌人による和歌は300首以上あるらしい。
華道『嵯峨流』に『井手の玉川』とよばれる活けかたがあるらしい。




ちょっと探しただけでコレです(笑)


井手は、文化的にスゴイ特徴があるらしいです。
 

井手の地は 1000年以上 文化的な地として 知られていたらしいです。


こういったことを 厳選して より親しみやすく表現して
井手町内外の人たちに広げられたら


とってもスバラシイと思うんです。


若手商売人の感性で 行政や研究者の方々にできない表現ができると思うんです。


専門的な事は 行政や研究者の方々にゆだねます。


私たちは、 『きっかけづくり』をするんです。


多くの人に 専門書を見せても 読んでもらえません。
私たちが、 楽しく 親しみやすい キャッチフレーズ


わかりやすく言えば 『トリビア・・・』みたいなものです(笑)


『へ〜!』 っていう アレ です。(笑)


これが出来たら、 将来 『井手町のウワサ』から出題される 『井手検定』ができます!


井手町商工会青年部が 長年取り組んでいる 『山吹MTB大会』でも

効果的な 『町のPR』ができます。


せっかく 町外そして他府県からも 多くの参加者を集めている大会です。
10年以上継続させているという点でも 価値ある企画です。


しかし、 効果的な『町のPR』が出来ていなかった・・・。


この 『井手町のウワサ』ができたら、 その点 とても効果的なツールとなるでしょう。


井手町にも『井手町歴史愛好ロマン会』さん 『老人クラブ』でも歴史研究の講座があるそうです。



私が知らないだけで、 他にも 大勢の 『知識をお持ちの方々』が きっと大勢おられるでしょう。


そういった皆さんとも 交流を深めることができたら スバラシイでしょう。


青年部という 限られた年齢の組織です。


幅広い世代の人たちと交流して 色んな知識を深めて


みんなで 『井手通(いでつう)』になれたら 最高です!






・・・ってな感じで、京都新聞の記者さんへ アツく語ってしまいました(笑)
なんせ・・・睡眠時間2時間・・・寝不足で、 二日酔いです。


かなり ハイ になってたのかな?


今、 とても ネムイです。



・・・不動産のご相談は、 しのだ不動産・・・tel 0774-82-5808↓↓
http://www.athome.co.jp/ahki/s-fudo3.html
s_fudo3@yahoo.co.jp

井手町のウワサ』・・・編集中
http://d.hatena.ne.jp/ide-seinennbu/